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東京家庭裁判所 昭和59年(少)20806号 決定 1985年1月11日

少年 T・I(昭四〇・六・二八生)

主文

少年を医療少年院に送致する。

押収してあるダイバーナイフ一丁(昭和五九年押第二六四五号の一)はこれを没取する。

理由

(少年の生育歴並びに生活状態)

1  少年は、昭和四〇年六月二八日、東京都中野区内において、両親健在の家庭に長男として出生したが、祖父母が同居し、母が幼稚園の保母をしていたため、主として、祖母の手で、二歳九か月まで養育されていたところ、祖母は、少年と母との接触を好まず、少年に対しては、倫理に厳しい反面、日常生活では甘やかすことが多かつた。

2  少年の母は、次男Aを妊娠中の昭和四二年三月に幼稚園を退職し、翌四三年三月に少年の一家は、横浜市○○区に居を移し、少年と祖母は分離され、転居後は、一転して、日常生活面でも、父母の厳しい教育の下におかれ、母に対する甘えの要求が充足されず、同年一〇月二六日に出生した三男Bが母に甘えている姿を見て悔しく思い、その頃から、二歳年下の弟Aに対する苛めが激しくなり、父母がこれを厳しく叱責することの繰り返えしによる悪循環が生じ、長ずるに従つて、父母との断絶が深くなつて行つた。

3  少年は、小学生時代には、学校生活では問題はなかつたが、友達附合いが不得手で、動物を飼育したり、植物を育てたりすることが好きで、弟Aの友達の中に入つて遊び、Aの友達を自分の友達にしてしまつたりし、また、父がAに対して相撲の技を教えたため、自分が負けるようになり、父がAをえこひいきしていると感じ、父を嫌い、学業では、進学塾に通い、おおむね上位の成績を保つていて、進学塾のテストでは全国で一〇番になつたこともあつたが、先生が自分を嫌つているとか、苛めるなどと言つたりして、被害意識の強い一面もあつた。

4  少年は、昭和五三年四月中学校に入学後、勉強意欲が低下し、一年時にテニス部、二、三年時はバスケット部において活動したが、テニス部の顧問の教師との間柄が悪化したり、少年が三年時に入学してバスケット部に入部した弟Aを嫌うなど、学校生活における不適応症状が現われると同時に、家庭内においても、エレキギターを購入したいとの要求をした際、父に叱責されたのを機に以後ことさら父を避け、自室にこもり、母や弟Aに対し、権威的、威圧的な態度で食事を運ばせたりし、時に、蹴つたり、殴つたりの暴行を加え、家庭内暴力をエスカレートさせて行き、父と弟に二人がかりで押えつけられたり、父が警察に架電したりすることもあり、これにより、少年の心情は、更に家庭内暴力を誘発し易い状態になるなどの繰り返えしとなつた。

5  少年は、昭和五六年四月、神奈川県立○○高等学校に入学したが、夜間睡眠がとれず、遅刻や欠席が多く、登校しても授業中居眠りが多く、学業も劣り、家庭においては、母及び弟Aに対する暴力行為が一段と激しくなり、とりわけAに対しては、気に入らないと夜中に立たせておいて寝かせず、蹴飛ばしたり、刃物で顔を傷つけたりした。

6  こうした経過のうち、少年は、父を極端に嫌い、父の洗濯物を別にすることを強要し、三男Bに対する暴行もあり、父母は、少年に対する対応につき、児童相談所、学校、警察等に継続して相談し、一時軽快することもあつたが、昭和五六年一一月頃には、父母と三男Bを閉め出し、少年とAが二人で共同生活をする事態となり、止むなく父母は、○○病院精神科に少年の入院手続をとつたものの、警察の指導により、少年の暴力行為が減少したため、入院措置は実行されなかつた。

7  少年の一家は、昭和五七年四月、弟Aを転校させるため、神奈川県○○町に転居したので、この際、少年は自ら希望して、横浜市○○で下宿生活を始めたが、生活が不規則で、学校には遅刻することが多く、次第に自宅に帰ることが多くなり、二か月後には、家族との同居生活に戻り、同年一〇月ころから、再び家庭内暴力が激しくなり、同年一一月一日○△病院精神科において受診し、家庭内暴力は一時治つたものの、一か月後再発し、同年一二月一七日、心因反応の病名で、○○病院精神科に入院した。

8  少年は、同五八年二月一八日、同病院を退院し、その際、以後当分の間通院するように指示されたが、同年三月三日、同月一七日の両日通院しただけで、以後は通院せず、同月一四日ころから家庭内暴力を再発し、同月二一日には、母の顔面を殴打し、同年四月には、刃物を使用して母を脅迫し、末弟Bに対する暴力も激しさを増し、両親は、再入院を考慮したり、警察の指導を受けたりしつつ、少年の暴力行為を減少させることに努めた。

9  少年は、同五九年三月、高等学校を卒業し、父の出身校である○○大学と○△大学を受験したが、いずれも不合格になり、少年の強い希望により、○○予備校に入学し、肩書住居である祖父C(本件の被害者)方に居住し、同年四月一九日から、祖父母と同居することとなり、以後二か月間位は特別問題も起こさず、比較的安定した生活を送つていたが、同年六月ころから、夜間勉強して昼間に寝るようになり、予備校も休み勝ちで、週末には、○○の親許に帰る日が多くなつた。

(本件に至る経過)

1  少年は、昭和五九年八月に入ると、暑さのために眠れない日が多く、心身の疲労が激しく、同月末ころから「おじいちやんのところで皆が変なことを言う。」「両親も細かなことを言い出した。」などと被害意識が強くなり、同年九月九日、父方の叔母D子が死亡したのを機に、死の恐怖に起因する不安状態が著しくなり、同月一一日の葬式の日には、「E子おばちやんの処に泊つたが、夜、目を覚すと、E子おばちやんが車の中で死んでいる姿が浮んだ。」などという幻視体験や、「葬式の後は自分が自分でないような感じがした。」などという離人体験や、「一二日ころからは、玄関の下に猫の屍体があるような嗅がした。」などという幻嗅体験をもち、同月一五日の叔母の初七日には、「おじいちやんは死後の世界を知つている人のようであつた。」「葬式の日に親戚の人が、T家は藤原氏の末裔であると言つていたので、日本史の勉強を始めたら、藤原氏は天皇と組んで日本の政治をして来たことがパズルを解くように良く判り、同月一五日は殆んど眠らずに、一六日の予備校のテストを受けたところ、テストでも藤原氏の問題が出ていつになく山が当り、不思議な暗号を感じた。」などの自己関係づけ、妄想気分、妄想知覚が高まつた。

2  少年は、本件犯行の前日である翌一七日には、藤原氏のことを徹底的に調べ、藤原の不比等が自分の祖先ではないかと考え、これらのことについて、祖父Cと祖母F子と話をしているうち、Cから、同人は二・二六事件で感謝状をもらつたことがあること、天皇陛下からの食事を食べさせてもらつたことがあること、犬養首相は右翼に問答無用といつて殺されたことなどの話を聞かされ、その際、Cから「右翼の位をやる。」と言われて握手を求められたりして、深夜になつてから自室に戻つた。

3  しかし、少年は、興奮して寝つくことができず、本件を犯した後、その日のことを、鑑定人に対し「背中の血管の脈はくが強く打ち、カチャカチャと拳銃をかまえるような音が聞こえ、身の危険を感じたが逃げないでいると、祖父Cが藤原の不比等になり、不比等の子供は全部で七人いたが全部死亡しているので自分も死ぬ番かと思つた。そのころ、地震があつたように感じ、非常用マッチを持つてパンツ一枚の姿で家を出て、タクシーをひろい、○○病院に向つたが、途中で、病院に行つたら一生でられないと思つて車から飛び降り、その後ぐるぐる走り廻り、アパートの窓越しに道を尋ねると、女の人が歯みがきをしていて、よく見ると死んだ叔母のD子であつた。ゾーッとして走り廻り、何もかもが、自分を攻撃して来るようだつた。新聞配達に道を聞いて漸く帰宅し、寝ようとしたが眠れなかつた。」などと述べている。

4  少年は、以上のような経過により、妄想気分、妄想知覚、自己関係づけなどが強まり、思考は非論理的、飛躍的で、唐突に変化し、支離滅裂な状態で、本件犯行の日である同月一八日の朝を迎えた。

(非行事実)

少年は、昭和五九年九月一八日早朝、前夜からほとんど眠らなかつたので、中野区○○×丁目××番×号祖父C方において寝ようとしたが、前夜祖父から、右翼組織の位をあげると言われたためもあつて、右翼と対立の組織に関係のある人に拉致されたうえ殺害されるような気がして寝られずに朝を迎え、祖父方を出て、自分の生活を立て直そうとして荷物をまとめていたところ、ダイバーナイフ一丁(昭和五九年押第二六四五号の一)がでてきたので、これを手に持ち、この時テレビの線が目に入り、自分がこれにより支配されていると感じて、これを切断し、その後、同日九時ころ、祖母のもつて来た餅を食べて出て行こうとした時、祖母が「出て行つても変わらない。」旨発言するや、極度に不安状態が高まり、気が動転し、「非常用」と書いてあるマッチを持つていれば助かると思つたが、マッチが見つからず、マッチがないと自分の生命が危いと感じ、祖父Cのズボンを捜したが発見できず、丁度その時、祖父Cが立ち上つたので、祖父が対立組織に連絡するような気がして、同人を殺害しようと決意し「問答無用」と言つて、上記ダイバーナイフを、同人の左胸部に突き刺し、よつて、間もなく同所において、左胸部刺創に基づく肺動脈傷による心タンポナーデにより死亡させ、殺害したものである。

(少年の本件犯行後の行動並びに精神状態)

1  少年は、本件犯行の直後、素足で玄関から外へ飛び出したが、間もなく犯行現場に戻り、同日九時一五分現行犯逮捕され、翌一九日から勾留されたが、警察官の取調時にいきなり暴れたり、独居室においても、食事もせずに正座してうなつていたり、異常な行動が目立つたため、同年一〇月二日から同年一二月一八日まで、府中刑務所に鑑定留置された。

2  少年は、上記鑑定留置の期間中、当初は呆然として放心状態を示し、急に泣きだしたり、「殺してくれ」と呼んだり、支離滅裂な発言が多く、鑑定人の面接に対し、

(1)  同年一〇月四日には、「カチャカチャという機械の音がする。」と言つて幻聴におびえ、「僕は片耳。声が聞えて、人が来る。」「僕は誰かに殺される。」「あまり喋ると死刑ですね。テレパシーみたいに話せるからいいんです。」「僕が喋ると泣く人がいる。」「どこかの星の新らしい人類が」などと、話は唐突、飛躍的、諒解不能であり、幻覚・妄想の存在を疑わせ、冷たく不気味で、感情的接触が悪く、支離滅裂な緊張病性の亢奮状態を窮わせ、

(2)  同月一二日には、「鳥になるんですか。僕は」「僕は虫と話せるんです。」などと言い、感情的疎通性は改善されたものの、依然として異常体験妄想の存在を疑わせる言動があり、自己関係づけもあり、

(3)  同月一七日には、「今から考えると、あの家は霊であやつられていたと思う。」「小学校のころの母は、本当の母ではなく、何かにあやつられていたと思う。」「僕の一家は聖書と関係がある。」「昨日カレーライスの食器を洗つていたら、石鹸をつけたのに赤くなつた。薬が入つていたみたい。」「麦茶の色がうすくなつたり濃くなつたり、血の色に見えたりする。」「鳥がいつぱいいて話しかけてくる。」「受刑者が鳥になつてしまつたみたい。」「鳥が人間の魂をもつている。」「座布団の上がきれいに金色に光り、かぐや姫のようなものが見えた。」「担当さんと刑務所に入る前に自宅近くであつたことがある。新聞勧誘の人だつた。」「僕の運命は、皆が知つていた。」「知らなかつたのは僕だけだつた。」などと言い、妄想知覚、人物誤認、自己関係づけ、連想弛緩などの思考障害体験を窮わせ、

(4)  同年一一月二日には、「弟に馬鹿にされ、おやじに馬鹿にされ……おふくろ……ズドンズドン……E子おばちやん……皆きいていますね、G子ちやんの声で殺されると聞こえた。」「僕のために莫大なお金が……怪人二一面相が」などと支離滅裂な発言があり、突然立ち上つて放尿したり、精神運動性が激しく、「悪魔の人間」「皆に唾をはきかけられる。」「自分は女だ。」「隣室に親戚の人がいる。」などの言葉が繰り返えされ、机にうつぶし、苦しげにもだえ、おびえ、聞き耳を立て、突然立ち上つたりして、錯乱性の亢奮状態を示し、

(5)  同月二〇日には、「先生(鑑定人)の番号(通行証)が四二番なので死ななきやいけない気がした」「お経やゴーというミサイルを発射する音がした。」「飛行機やヘリコプターが何回も飛んで自分の上でグルグル廻り、金をこれ以上かけられないと言つており、僕の先き行きが決つたようだつた。殺されると思つた。」「鳥が、僕を意識し崇拝しているようだつた。」「僕が外を歩くと変なことがおこるのではないか。」「猫が自分と関係がある気もする。」「猫の霊がついているようで、人間がわからない段階の霊が僕をあやつつているようである。」などと言つて、自己関係づけ、妄想知覚、させられ体験があると窮われ、

(6)  同月二七日には、「○○病院のH看護婦の声が隣室でした。自分の脳波を隣室の人にあげているようであつた。」などと言つて、妄想気分及び錯聴が窮われ、

(7)  同年一二月五日には、「鳩が壁にぶつかつて、何かやつぱり変なんです。僕に関係があると思う。テレパシーがあると思う。」「刑務所の中は、僕が来てから変つたと思う。」「舎房に女の人が来る。多分セーラというモデルでラジオの司会をする人だ。」などと言い、感情の動揺はなくなつたものの、自己関係づけ、妄想知覚が残存し、感情共鳴が劣つていた。

3  少年は、鑑定留置期間中、WAIS成人知能診断検査、MMPI(ミネソタ多面的人格目録)、ロールシャツハ・テスト、クレペリン精神作業検査、ベンダーゲシュタルト・テスト等の心理テストを受け、その結果、言語性IQ一〇六、動作性IQ一〇八、全検査IQ一〇八で、知能は普通域、記銘力良好、心的活動は活発、観念内容は豊であるが、連想弛緩や奇妙な連想を含む思考促進など分裂病的思考障害があり、基本的安全感の欠如があり、情緒的刺激に対し不安を起し易く、家族に対し、両価性感情を抱き易いと判定された。

4  その間、少年は、同年一〇月二八日、配られたお茶の入つた食器に故意に右手を入れて、熱傷する自傷行為をなし、翌二九日、意味不明の奇声を発し、両手で頭を押さえ、大声で泣きわめきながら房内を駆け廻つたり、トンボ返りをするなど喧噪行為を続け、制止しても聞かず「山が見える。」「山が死ぬと言つている。」「線香をあげる。」などと支離滅裂なことを口走り、着衣を脱ぎ始めるなどの自傷、自殺のおそれが強く認められたため、戒具を使用のうえ、保護房に収容され、その後も「開けてくれ」「開けゴマ」「出してくれ」など怒りながら房内を駆け回るなどし、同年一一月一日、やや平静になつたので、戒具使用、保護房収容を解除されたが、翌日の午前中には、房壁を蹴つたり、頭を打ちつけるなどし、精神科医の診察を受けて一時鎮静したものの同日午後にも、奇声を発しながら、壁や洗面台角に頭部を打ちつける行為をなし、自傷、自殺のおそれが顕著に認められ、戒具使用のうえ、保護房に収容され、同月九日まで戒具を使用され、戒具使用後も独言、房内徘徊が多く、同月一三日まで保護房に収容されていた。

5  少年は、以上のような経過を経たが、その間、抗うつ剤と穏和安定剤などの薬物療法と精神科医等による精神療法により、次第に精神状態がやや安定の傾向に向つた。

(法令の適用)

刑法一九九条

一  上記認定の事実によれば、少年は幼少期から父母に対する愛情要求が充足されなかつたため精神的に基本的安定が欠けていたうえ、自立心に劣り、家庭内においても孤立し、被害意識が強い性格に育つていたところ、中学校に入学後、学業の挫折を機に、これが強化されて行き、その間、両親がこれを受容できず、警察や病院に頼る対応しかできなかつたことによる悪循環のうちに、ますます精神状態が悪化し、昭和五七年一二月一七日から同五八年二月一八日まで、心因反応の病名で精神病院に入院し、一時軽快したものの、同五九年三月大学受験に失敗して再び悪化し、同年八月ころから不眠状態がつづき、同月末ころから妄想気分が強くなり、同年九月九日叔母の死亡により、死の恐怖による不安状態が高まり、妄想知覚、自己関係づけ、離人体験などが強まり、犯行前夜には、不安焦躁感、切迫した被害感、自己関係づけのある滅裂思考、外界知覚の混乱した妄想意味づけ、憑依体験、人物誤認、幻聴、精神運動性亢奮などを示す急性錯乱状態に移行していて、本件犯行時もこれが継続していたため、了解可能な動機もなく、妄想に支配された意思により、祖父Cを殺害したことが明らかであり、以上の事実によれば、少年は、本件犯行時において、精神分裂病又は同病同様の精神状態により是非善悪の弁別能力を欠いていたものと判断せざるを得ない。従つて、少年には、本件犯行時において、刑事責任能力が存在していたことを認めることができない。

二  しかし、当裁判所は、次の理由により、少年法所定の保護処分を付するにつき、対象少年について、刑事責任能力を要件としないと考える。

(1)  旧少年法(大正一一年四月一七日法律第四二号)は、その第四条に、保護処分に付し得る対象少年として「刑罰法令ニ触ルル行為ヲ為シ又ハ刑罰法令ニ触ルル行為ヲ為ス虞アル少年」と定め、対象少年に刑事責任能力があることを要件としていなかつたことは明白であり、同法改正の経過においても、少年法改正草案(昭和二二年一月七日司法大臣官房保護課作成)、少年法第三次改正草案(同二三年一月二〇日保護課立法部作成)、少年裁判所法第一次案(同年四月五日少年矯正局立法部作成)、少年裁判所法第二次案(同年五月五日同部作成)、少年法案(同年五月二五日少年矯正局立法部作成)までは、法文形式も同一であり、同様に対象少年に刑事責任能力のあることを要求していないことに疑いがなかつたところ、同二三年六月一九日「少年法を改正する法律案」が国会に提出され、質疑応答された後、同年七月三日修正議決された際、初めて、その三条一項一号に「罪を犯した少年及び一四歳に満たないで刑罰法令に触れる行為をした少年」と表現されたものであるが、保護処分の対象少年に刑事責任能力を要件とする旨の説明は一切なされていないから(そこでは、児童福祉法との関連により、一四歳未満の少年と一四歳以上の少年との手続が区別されたことが強調されているのみである。)、かかる重大な事項につき、説明されていない以上、その前後に別段の変更はなかつたものと解するのが相当である。ちなみに、上記少年法第三次改正草案第三条では「刑罰法令に触れる行為をなした少年(以下犯罪少年と略称する。)」との表現があり、少年法の改正経過において「犯罪少年」という概念には刑事責任能力を要件としていなかつたことが明らかであり、これを構成要件的に「罪を犯した少年」と表現したものであり、その意味は同様に理解すべきものである。

(2)  保護処分は、保安処分の性格をも有するもので、その対象者の刑事責任を問う趣旨のものではなく、その要保護性に対応して非行性を除去し、社会的適応能力を回復充足させることを目的とするものであり、この点において、刑事責任を基礎とする刑罰とは異る。

(3)  一方において、刑法が絶対的刑事責任無能力者と定めた触法少年を、保護処分の対象者として、これに対し強制力を伴う保護処分を許容している以上、一四歳以上の者に対してのみ、保護処分の不利益処分としての側面や刑罰に類似する側面を理由にして、刑事責任能力を要件とする見解は、自己矛盾であり一貫性に欠ける。

(4)  また、少年法第一条第三項所定の「その性格又は環境に照し」や同項二号所定の「自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。」などの定めが、刑事責任能力を要件にしているとは解し難く、同項は、知的能力が著しく劣るなどのために、刑事責任能力が存すると認めることができない少年をも対象にしていると解すべきである。

(5)  保護処分の対象少年に刑事責任能力があることを要件とするとすれば、非行時に精神障害により、刑事責任無能力であつた少年に対しては、保護処分に付することができず、専ら一般の精神衛生法上の措置にゆだねることになるが、審判時までに精神的回復があり、同法所定の措置入院の要件がなくなつているものの、少年保護の見地からは、在宅処遇が困難であり、特に重大犯を犯す危険性を有する者についてまで、適当な処遇方法を失うことになるおそれがある。現行法体系が、このような事態の発生を許容しているとは、とうてい考えられない。

(6)  現に、執行機関では、医療少年院における特殊教育課程として「精神薄弱者(IQおおむね六九以下の者)であつて、専門的医療措置を必要とする心身に著しい故障のない者及び精神薄弱者に対する処遇に準じた処遇を必要とする者」及び「情緒的未成熟等により非社会的な形の社会的不適応が著しいため専門的な治療教育を必要とする者」を医療措置課程として「身体疾患者」「盲、ろう、あ、し尿不自由等身体障害のある者」「精神病者及び精神病の疑いのある者」「精神病質者及び精神病質の疑いのある者」を、それぞれ対象者として定めて(昭和五二年五月二五日法務省矯教第一一五四号矯正局長依命通達)、刑事責任能力の有無とは関係なく、これらを処遇する施設を備え、これらの運営等に関する通達等(例えば「精神障害のある収容者の取扱について」(昭和三九年四月四日法務省矯正甲第三〇二号矯正局長依命通達))も出しているのであり、このような執行機関の受容体勢の状況も、上記判断を支持するものと考える。(ちなみに、本件の少年に対する鑑別所の処遇意見も医療少年院送致を相当とするものである。)

(処遇の理由)

少年の生育歴、性格、能力、生活状態、精神状態の経過、保護者および家族との関係などは上記のとおりであるところ、一件記録によると、少年は、逮捕、勾留、鑑定留置、観護措置の期間を通じ、薬物療法、精神療法を受けた結果、医療的見地からは、現段階において、精神衛生法上の措置入院の要件に該当する程劣悪な精神状態ではなく、通院治療で足ると判断され、仮に、一時、保護者の同意による入院措置をとることができたとしても、遠からず社会生活をさせつつの治療に切り替えられる可能性が高いと認められるが、保護処分の必要性の有無の見地から判断すると、上記のような少年の生育歴、生活状態、精神状態の経過に鑑みると、少くとも相当期間を経ることなく少年を家族との葛藤の中に置いた場合は、家庭内暴力が再発する可能性が極めて高く、また、精神状態が悪化し、家族に対し、再び兇悪な非行を犯さないとも限らないものであり、こうしてみると、少年は、極めて要保護性が高いのであつて、在宅保護は困難であると認められ、一定期間精神科医等も在職する医療少年院に収容して、精神の治療を行いつつ、併せて、社会適応性を身につけさせることが最も相当であり、少年に対する保護処分は医療少年院送致以外には考えられないところである。

よつて、少年法二四条第一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条五項を適用して少年を医療少年院に送致することとし、押収してあるダイバーナイフ一丁(昭和五九年押第二六四五号の一)は、本件犯行に供したもので本人以外のものに属しないから、少年法二四条の二によりこれを没取し、主文のとおり決定する。

(裁判官 多田周弘)

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